映画感

 

ここでは映画全般の話題を取り扱っていく。

ベターな題名であることをお許しください。(笑)


 

SECTION 1

「映画」

映画を見始めたのはいつからだろう。一家に一台テレビがある

時代に生まれてきたわけだから、多分物心がつく前から見ている

のであろう。勿論ほとんど覚えていないが。

小さい頃はよく親に連れられて映画館にいったものだ。

すこし大きくなると、友達などとも出向いたな。

そうそう、家の近くにビデオレンタルのお店があったので、叔母に連れられて

ビデオを借りたりもしてた。なぜか叔母と行くとレンタル料が安くなるのだ。

たぶん叔母を気に入ってたのだろう。

本格的に映画を見だしたのは(ビデオ、映画館どちらとも)、中学の後半ぐらいから

だろうか。最初はアクションやホラーなどの分かりやすいものばかりを見ていた

のだが、それにも飽きてもっと内容のあるもの、考えさせられるもの

を見るようになった。

今はジャンルには拘らないようにしている。どんな映画でも楽しみたいからだ。

私は映画から良し悪しに関係無く影響を受けてきている。

私の価値観などもかなり影響を受けているのではないだろうか。

私の中で良い映画の基準は、「いかに私の心の深い所まで影響を及ぼすか」

というものなのかも知れない。

影響を受けられるから映画を見るのだろう。

 

 

SECTION 2

「映画はどうあるべきか」

 

どうあっても良いと思う。

べたべたな恋愛映画でも良いし、無茶苦茶なアクションでも良い。

映画は一つのメディアであり、見る人によって

受けとめかたが違うのは当然であるからだ。

「映画はこうでなくては」などと述べる映画評論家を見かけたりも

するが、それは映画を過大視していると思う。

 

 

 

SECTION 3

「映画評論家」

 

基本的にアホというと言葉が悪いが、アホだと思う。(笑)

評論家の仕事は映画の面白い部分を客観的に説明し、それを見ている人に

その映画を見たいと思わせることであるべきだと思う。

それなのに、映画の悪い部分を主観的にしかも誇らしげに

語っている評論家が非常に多い気がする。

私の中でのもっとも理想的な映画評論家は淀川長治である。

彼ほど映画の面白さを上手く表現していた人はいない。

「映画館で映写が終わったのに、まだ座っている老人がいる。

従業員が終わりましたよと声をかけると、死んでいた」

というのが、淀川さんが考える理想的な最期だったそうだ。

う〜ん、渋い!(笑)

 

某映画関連のHPを運営している管理人さんから以前に貰ったメールには

こう書かれていた。

「批評家ぶるとなんだか自分が偉くなったような錯覚を起こす
人が多く,その誘惑に負けると何本映画を見ても難癖つけずにはおれ
なくなる。これじゃつまんないですよね。

好きな作品,大切な作品,あるいはほんのひととき楽しませてくれた
作品に本気で賛辞を捧げることの方がはるかに難しいです。照れをは
ねのけてラブレターを書くようなものですから(^^)

ともあれ,間口を広く保っていろんな作品を素直に楽しめる,という
のが僕の密かな自信です。これ,けっこう難しいんですよ(笑)」

まさにそのとおりだと思う。

悪いところに着目するよりは、良いところに着目したほうが

「映画」自体を楽しめるのは当然のことだろう。

物事を悪く思うほうが、それを良く思うほうより簡単なんだよね。

私もくだらない拘りなどに縛られて、

映画の楽しみを見失わないように気をつけていきたい。

 

 

SECTION 4

「映画館」

 

映画館ってなんだか不思議なところ。

ただスクリーンが大きいだけで、ただ音響がととのってるだけの場所。

なのに特別な刺激を与えられる場所。

ブザーがなる瞬間、幕が開く瞬間、ライトが消えていく瞬間。

どうして特別なんだろう。

それは”一体感”ではないかと私は考える。

映画館ではみんなが同じ目的をもって、同じ物に集中する。

一つの映画をみんなで共有しながら喜怒哀楽を堪能するのだ。

その一体感こそが”特別”を感じさせる実態ではないだろうか。

 

石原裕次郎が活躍していた時代。

映画で彼が登場すると、いっせいに拍手が起きたそうだ。

そこにはフィルムに焼かれた石原裕次郎しかいないことをみんな知っているのにも関わらず。

でも、なんだかとっても素晴らしい世界だと思いませんか?

今でも拍手はないけれど、一体感は生きている。

そんな特別な場所「映画館」にこれからも行きつづけたい。

 

次回はビデオです。お楽しみに〜。

 

SECTION 5

「ビデオ」